「宝物は、手に入れるまでが一番楽しい」 ――
――Before it begins.――
世の中には、限りなく絶版に近い本が数多くあります。その代表が「品切重版未定」。
出版社の方に在庫が無く、新しい版の出版予定も無い。つまり今市場に出回っているのが商品の全てですよーという無慈悲な通告です。ていうかこれ絶版と同義。
ミステリに大ハマリしてまだ短い僕にとって、過去のミステリの中には当然こうした本が数多く含まれていることは、本読みとして当然覚悟していたことです。しかし、“そんな本は当然人気が無いのだから、面白くないのだろう。だから読む必要はない”。 そう楽観していました。
ところが。
2004年11月某日。ある一冊の本を探しに近所の本屋に行きました。
それは、麻耶雄嵩『鴉(からす)』幻冬舎。
東京創元社1998年度「本格ミステリ・ベスト10」第一位。いい意味でも悪い意味でも個性的な麻耶雄嵩さんの、しかし大変に評判の良かった作品です。ここ最近麻耶作品ブームな僕が、これは予約してでも手に入れたい、と思ったのも当然です。で、本屋に当然置いてあるだろうと思ったら、案に相違して置いてない。そこで僕は店員さんに聞いたわけです。
「すいません、麻耶雄嵩さんの『鴉』を探しているのですが」
「埴谷雄高さんですか?」
「……まやゆたかです」
「あ、すいません。で、『硝子』ですか?」
「……カラスです」
「あ、すいません。鴉ですね、少々お待ち下さい。……えーと、当店には在庫がありませんね」
「そうですか。では予約は可能ですか?」
「えっと、これ品切重版未定ですからお取り寄せも出来ないですねー」
「え?」
「埴谷雄高の『死霊』ならあるんですけどねー」
「いや関係ないし」
1998年度「本格ミステリ・ベスト10」第一位ですよ? 97年発刊で最も評判の良かったミステリですよ?
慌てて、他の本屋に電話をしてみました。
紀伊国屋書店、八重洲ブックセンター、ジュンク堂、芳林堂、有隣堂、ブックファースト、ブックガーデン。
全店売り切れとのこと。
こんなことがあっていいのか、いや良くない(反語)。しかし、無いものは無いわけで。泣く泣く過ごすうちに、いつしか日々は過ぎ行き。
11月末日。
日記にも書きましたが、今年僕は12月に一冊(舞城王太郎『煙か土か食い物』講談社文庫)を除いて本を購入しない、ということを自己決定しました。ところが一方で、今年度中にどうしても読みたいのに、手元になく読めない、という本があることも然り。それを読まなければ年を越せない、そんな強迫観念に襲われる次第です。そこで、落ち穂拾いと称して、今年度中に読みたい本を集めてみることにしました。
さて、ここで思い出したのが『鴉』。
これこそどうにかして読みたい。しかし本屋には置いてないことは証明済み。どうするか。
古本屋に行くしかない。
しかし今まで新刊書籍しか買ったことのない心がリッチな僕にとって、古本屋がどこにあるのかなんて全く知りません。しかし今日が末日。日記で宣言した手前、翌日以降は年明けまで買えない!
こうして僕は『鴉』を探す旅に出ることにした。時、11月30日、午後1時。
――Make the rule.――
しかーし、ただ探すだけでは面白くない。それではネタにならない(という発想が出る辺り自分間違ってる)じゃないですか。そこで、自分なりのルールを課してみることにしました。
1.本屋・古書店を巡る。 | 当たり前です。 |
2.事前に一切の下調べをしない。 | ネットとかで調べればもしかしたら在庫のある店が見つかるかもしれませんが、自分で見つける方が感動が大きいです。 |
3.乗り物は使わない。家からひたすら歩く。 | きつい制約です。でも、古書店がどこにあるか分からない以上、自分の足で丹念に調べる必要があるし、またどんな出会いが待っているか分かりません。 |
4.ついでに他の探索本も探す。 | 折角普段回らない古書店を巡るんですから。そして、明日以降本が買えないんですから(涙) |
5.制限時刻は午後6時15分までの5時間弱。 | 制限時間が必要でしょう? なので、折角ですから某予備校の時刻に合わせてみました。 |
……えー、作ってみて思ったんですが、これすごく無理そうですね。
時すでに午後1時半。タイムリミット残り4時間45分。
――Alea jacta est.――
ドアを開けるとゼリーが……あるわけはなく、、無事自宅を出発。
とはいえ、僕は古書店の場所などこれっぽっちも知りません。
どこに行けばいいのか。とりあえず商店街の方に出れば、何かあるかもしれない、そう思って商店街へ。すると、早速一軒の小さな古書店があるではないですか!
時刻1時40分 〜町の小さな古書店。〜
小さなお店。そして僕の古書店デビュー(遅い)。
店先に棚が置いてあって、なんと棚の本なら一律100円。さすが安い!
『鴉』はあるかしらん、と見たが、やはり無い。そう簡単には行かないか。
とか思ってたら、夢野久作『ドグラ・マグラ』(角川文庫)発見! これはミステリ4大奇書の一つで、結構有名な本にも関わらず、不肖僕は読んだことがなかった代物です。読もう読もうと思いながら、いつも本屋の棚を素通りしていたもの。これは今年度中に読めという天啓か。ちょっとぼろっとした感じですが、ミステリ古典としては、ちょうど良いかも。本棚に並べるといい感じだし。
というわけで手にとって店内に入ると、今度は一律200円の棚。田舎の小さな店なのに、妙に品揃えがいいぞ。ちょっと興奮気味にあれこれ手を出して、ハタ止まる。あんまり買っている場合じゃないのでは? そもそも今日の目的は『鴉』捕獲作戦なわけで。ここでこんなに止まっていては、目的が達成出来ない。
こうして泣く泣く、しかししっかりと一冊追加して、古書店を出る。時刻、1時50分。
<購入本> 夢野久作『ドグラ・マグラ 上・下』(角川文庫) 100×2=200円(元760円)
法月倫太郎『誰彼(たそがれ)』(講談社文庫) 200円(元729円)
商店街には、ここ一軒しかないようなので、ちょっと大通りに向かって歩いてみる。よく国道沿いに本屋があったりするので、それを期待。すると、赤色の怪しげな店を発見。今日の僕、憑いている、いやツイている。
時刻2時10分 〜玩具屋兼古書店。〜
赤で彩られた奇妙な店。中は玩具(といってもスターウォーズの等身大人形といったマニアックで高そうなもの)がずらり。ミステリの本とかは置いてないのかなあ。ちょっと場違いな印象を持ちつつ、目的のためと覚悟を決めて潜入。すると、入り口の一角に古書がずらり! 良かった、店の奥じゃなくて。
しかし、僕の不安は杞憂に。なんと、物凄い品揃えがいいじゃないですか! しかも出てくる本全てミステリ。やけに近代的な古書店の癖に、やるじゃないか(何が)。そして、僕は発見したのです! いや、『鴉』ではないんですが。『サタンの僧院』。僕の敬愛する書評サイトで、ずば抜けた好評価を受けながら、全く書店に置いてなかった幻の一品。
思うに、幻になってしまったのはこの本が文庫化されなかったことに原因があります。僕は余程のことが無ければ、単行本は買いません。何より単行本は高いですし、面白い本は大抵文庫化されますから。しかし、世の中には傑作でありながら、なぜか出版社の意向で文庫化されず、歴史の影に露と消えていく悲劇の本(大げさだ)が稀にあるのです。それがこれ。
これだけで嬉しくて堪らないのですが、さらにこの本は新品同様に綺麗。きっと前の所有者が綺麗好きだったんですね。僕は本を汚すな同盟(なんでしょうかそれ)に加わっているので、綺麗な本が好きなのです。きっとこれが新品ばかり買う理由の一つなんでしょうね。
他にもいい本があったのですが、やはり単行本、古本でも値段が張るので、一冊で我慢。時刻、2時30分。
<購入本> 柄刀一『サタンの僧院』(原書房) 1000円(元1890円)
初めて知ったのですが、古本というのは、大抵鉛筆で一番最後のページの右上に値段が書かれるんですね。これさえ消せば、新品に見える。ふふ。
立て続けに2軒見つけたのですが、この後は中々見つからず、繁華街の方へ行ってみることに。すると、一般書店ですが、八重洲ブックセンターを発見。初めて知りました。
時刻3時 〜八重洲ブックセンター。〜
繁華街、というかオフィス街の近くにあったせいか、社会人が圧倒的に多く。店側も考えているのか、時代小説がやたら多く置かれていました。ミステリは少なめで、普段一般の書店に行っているので、特に欲しい本は無し。しかし、八重洲ブックセンターって八重洲以外にあるんですね(と無知をさらけ出す)。
ところで、購入はしなかったものの、一冊本を発見。松岡正剛『花鳥風月』(中公文庫)。いやな思いが去来したのは何でだろう。
やはり駅前(最寄の駅とは全然違う)は本屋も多いのか。すぐ近くに、ちょっと変わった本屋を発見。
時刻3時5分 〜企業法人向け?書店。〜
8畳ほどの狭いスペースに、見慣れぬ冊子を多数発見。よく見たら、なんと帳簿ではないですか。それも見たことも無い専門用の帳簿が棚一面にずらり。いや、こういう本屋も考えてみたらあるんですよね。そうじゃなきゃ、どこで個人商店の人は手に入れているのか。ちょっと疑問氷解。
ところで、勿論僕が探す類の本はありませんでした。
折角繁華街に来たついで、大きな書店さんにもお邪魔しましょう。
時刻3時15分 〜芳林堂書店さん。〜
もうきっと僕の顔が覚えられているんじゃないか、というくらいの頻度で通っている本屋。ところで、芳林堂に来て気がついたのですが、今までの本屋(八重洲ブックセンター含む)は全て棚が作家別に並べられていたのに対し、ここは出版社別に並べられているのです。やはり、出版社別に並べても映えるくらいの量がある本屋、ということでしょうか。小さい本屋ほど作家別、大きい本屋ほど版元別。
さて、古本屋でない本屋に来て買うものあんのか、という話ですが、あるんですね。ちょっと巷で話題になっていた作家さんを試しに読んでみようかな、と思っていたところで。あまり有名な人じゃないので、規模ある書店じゃないと品揃えがないと思いまして。といって、一体僕は誰に言い訳をしているのか。
ちなみに、芳林堂書店ではSFフェアをやっていました。小松左京、半村良……うーん、読んだことないなあ。とかなんとかウロウロしているうちに、時刻3時40分。
<購入本> 米沢穂信『氷菓』(角川文庫) 479円
芳林堂に行ったのなら、ついでにもう一つ大手書店に行きましょう。
時刻3時50分 〜有隣堂本店。〜
地上5階(あれ、6階だっけ?)、近辺最大級の規模を誇る書店さんの一つ。ここでは早川ポケットミステリ、通称ポケミス(可愛い名前だ)を見る。新書サイズ、ページが黄色く塗られているちょっと変わった本類。
最近ミステリ人気からか、海外ミステリの翻訳が進んでいて、僕が気になる人の本も。それはフランスのディクスン・カーことポール。アルテ。特に初翻訳『第四の扉』や殊能将之さんが絶賛する『赤い霧』などは是非読んでみたいものの一つで。
しかし、発見したのは良いのですが。
1300円。
高!
ペラペラの新書サイズ(2段組なので見かけより分量は多いが)でも1100円。これはさすがに高いのでは。京極夏彦だって1400円なのにー。と涙を飲んでここは購入を見送る。ポケミスは、やっぱり古本か図書館にしよう。代わりにどうしても見つからなかった創元社の海外作品を一冊購入。時刻4時10分。
<購入本> エリザベス・フェラーズ『猿来たりなば』(創元推理文庫)
さーて、そろそろ時刻がやばくなってきました。てかてか、残り2時間じゃないですか! 『鴉』は、カラスはどうするんだ。
とウロウロしていたら、久しぶりに古本屋を発見。
時刻4時15分 〜研究書専門店。〜
移転セールと銘打った看板を見て、走り込む。さては、たくさんの本が格安価格で叩き売られているのではないか? 期待に胸膨らまして行ったら。
いや。
確かに安いんですが。
全部研究書じゃないですか。スペインの近代歴史やら、昔懐かしのレポートの課題本やら、わんさかわんさか出てくるのですが、ミステリは皆無。というか文庫本皆無。ケインズの『一般理論』とか置いてあるぞ。ここにどうやら僕の居場所は無かったヨウダ。時刻4時25分。
あーやばい。そろそろ日も落ちてきて、本格的にまずい。あ、カラスが鳴いた。黄昏ながら、ずーっと歩いていたら、気がついたら図書館が見えてきた。ふとその横を見やると、あれ、古書店が。こんなところにあったっけ?
時刻4時45分 〜これぞ正真正銘の古書店。〜
つんと鼻を突く紙の匂い、幾重にも重ねられた棚、そして天井高く積み上げられた本の山。
これぞ僕のイメージ通りの古本屋。
無造作に積まれた本で、奥の棚が見えない。しかしそんなことは無頓着に次々積まれる本、本、本。分量も膨大で、もう次から次へと欲しい本が。ここなら、鴉があるか? 探索することしばし。
無い。
一応店主に聞いてみたら、「『鴉』は無いねえ」の一言。残念だが、仕方がないので諦める。本の量は多いのですが、如何せんボロボロなのが多く、買ったのは一冊だけ。読みたかったやつなのでOKです。それにしても装丁が微妙に異なる講談社文庫、古さを感じさせます。時刻5時。
<購入本> 岡嶋二人『そして扉は閉ざされた』(講談社文庫) 250円
もう図書館でいいや、かなり投げやりな気分で市最大の図書館へ。
時刻5時5分 〜中央図書館。〜
すっげー量の本。さすが図書館。さあ鴉、鴉、と当初の目的を全く忘却して棚へ。おお、西澤保彦がある、島田荘司がある、麻耶雄嵩もある! そして。
『鴉』が無い。
嘘でしょー!?県下最大の図書館なのに、置いてないとはどういうことでしょうか。一体図書館は何をしているんだ(多分借りられただけだろうと思う)
こうして僕は、最後の逃げ道を失ったのでした。
――I wandered lonely as a cloud, …… ――
時刻5時20分。残り時間1時間。
えーと僕何やってんでしょう。
さて、もう望みはほとんど無くなってしまいました。今いる場所はどちらかというとオフィス街チックな場所で、多分古本屋というのはほとんどなく。さりとて繁華街へ行くには、場所柄時間がかかりすぎで。
うーん、どうしよう。
さすがにここまで来ると、何とかして手に入れたい。それも時間内に。そこで、つと気がつきました。確か隣の駅の近くにブックオフがあったような。品揃えはともかく、一般書店に無い以上希望は古書店しかないわけです。
ところで、問題なのはそこまでの距離。多分30分以上はかかるでしょう。そのブックオフはちょっと外れた位置にあるので、他の書店を回る時間はあまり無い。はず。ならばそこ一点勝負になるわけですね。
とーぼとーぼとすっかり暗くなった夜道を歩く。
時刻6時過ぎ 〜ブックオフ。〜
到着。煌々とした光を放つ店内。漫画を立ち読みする人々をかき分け、探す、探す、探しまくる。『鴉』は単行本、ノベルス、そして文庫の3種類で発行されているので、それぞれの棚をチェックです。
単行本。
無い。
ノベルス。
無い。
文庫。
……無い。
ショックです。何で全然無いんだ『鴉』。こんなに本はたくさん置いてあるのにー。何、綾辻行人『フリークス』が105円、歌野晶午『さらわれた女』が105円、良く分からんこの本も105円……あれ?
慌てて見上げれば、大きく105円セールの文字。
105円セール。
105円セールということは。
105円じゃない文庫も当然あるわけだよな?
再びクルクル店内を回る。さっき見過ごした棚があったようで。そこに到着。「ま」の段を見た僕の目に突然飛び込んできたのは。
麻耶雄嵩『鴉』。
やった。やったよ。苦節1ヶ月、やっと見つけたよー。良く見れば微妙に傷がついていたりするけど、この際関係ないです。時刻、6時15分。終了5分前。
<購入本> ジル・マーゴン『騙し絵の檻』(創元推理文庫) 105円
麻耶雄嵩『鴉』(幻冬舎文庫) 450円
こうして僕の長い企画は終わったのでした。嘘のような、本当の話。
―― ……and the world was reversed. ――
時は過ぎ、12月4日。
以上のような文章を打ち終えた僕は、大きくのびをして。
机の横には本の山。その一番上に置かれた『鴉』。
これで僕は安心して年を越すことができます。
幸せ感に包まれながら、ふと思い立ってネットで幻冬舎のページへ。今月12月の新刊は何かなあ。あ、いや今月は買わないですよ、勿論。ただのチェックで……。
あれ?
書籍検索で、『鴉』を検索してみる。
単行本とノベルスが在庫になっている????
もしかして第二版????
こうして世界は反転する――。
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