中国旅行

タイトルに叙述トリックを仕掛けてみました。
無論、チャイナではありません。
中つ国でもありません。

発端は猛り狂う熱気迸る8月中旬のメール。

「暇だ、どこか行かない?」
たぶんメールをくれた友人は、カラオケなり飲みなり何かしようか、という意味合いでメールをくれたんだけど。

「どこかに行こうか。
西に3泊くらいで

暑さで頭が茹っていた僕は見当違いの返答をし。

「……あ、ああ、えっと」

強引に友人を説き伏せ。

「じゃあ中国地方横断で」 「え?」

3泊4日(実質4泊)、中国地方を西から東に横断する、という壮大な旅行を敢行することに。


旅程は9月14(火)〜17(金)。参加者は僕、才谷上総、不動、しんの4人。内、不動としんは予定調節のため、水曜から合流することに。


<第0日 新宿>

 僕らの旅行は、火曜日に下関に入り、そこから神武天皇よろしく東進して、姫路から東京に帰ろう、というもの。従って旅行自体は火曜からなのですが、どうせなら始発の新幹線に乗ろうということで、じゃあ遅刻しないように、と前日月曜に新宿で夜を明かすことに。
 闇夜に浮かぶ都庁に恐れ慄きながら、才谷さん行き付けの漫画喫茶に。満喫体験2回目、という不肖私のために、才谷さんは満喫における漫画の読み方を懇切丁寧に指導。
 
あれ、僕ら睡眠取りに来たんじゃなかったっけ?


<第1日 下関>

 ともあれ、満喫で漫画を読み耽ってしまった僕ら。
朝6時、新幹線で一路下関へ。
言うまでもなく、車中は爆睡。
広島で乗り換え、12時頃下関に到着。
東京から6時間近く掛かるのです。
さて、昼にはまだ早いということで、まず巌流島に行くことに。




――巌流島。それは少年のロマン。――


漁師のおじさんに連れて行ってもらいました。
漁船で。


大河ドラマ、漫画で話題の巌流島。のはず。なんだけど。

誰もいない。

文字通り、人っ子一人いない。
島を2人占めする、という快挙を成し遂げつつ。

立ち入り禁止区域に堂々踏み込んで、遊びました。
だって誰もいないんだもん。


島の雰囲気は最高でした。
やや人工的で、小さな島でしたが、その分物思いに耽るには最適。



本土に帰ってからは、一路壇ノ浦に向かうことに。

海の男の相棒
「乙女丸」。

いつかどこかで
見た舟。

斬り合う2人。
左が僕(うそ)。

――壇ノ浦。それはもののふの地。――



本土に帰ってからは、一路壇ノ浦に向かうことに。

途中、
ふくラーメン(下関では、河豚をふくと言うらしい)を昼食にとり、
旧英国領事館で写真展を見、
下関講和条約(日清戦争)を結んだ旅館で伊藤博文に思いを馳せ、
赤間神宮でお参りをし、
奇妙な神社で休憩をし……


……壇ノ浦ってどこだ。


いや、確かにさっきからずーっと右手に見える海が壇ノ浦なんですが、僕らが見たいのは古戦場跡でして。

「海の戦だから何も残ってないけどな」 確かに。


で、かれこれ1時間近く歩き続けたら、先のほうに何やら碑が。「おお、遂に見つけたぞ」と近づいていったら……“安全第一”の文字。


工事中で入れませんでした(涙)。


腹いせに壇ノ浦の写真をばしゃばしゃとり(後日見てみたら、やっぱりただの海だった)、駅に戻って高杉晋作の奇兵隊生誕の地を訪ねたりしたら、もう夕方に。翌日広島に行く必要があるので、山陽本線で徳山まで行って泊まることに。

徳山ではタクシーの運ちゃん曰く「徳山一番のメインストリートなんよ」という通りに面したホテルで一泊。東京と比較してはいけません。


下関講和条約で活躍した2人。左が伊藤、右が陸奥。

壇ノ浦。


ただの海だった。


<第2日 岩国、広島>

ところで、僕らがなぞっている旅程は、ちょうど一週間前に台風18号がなぞったのと同じルートであるわけです。

道々、凄いことになってます。何か旅行していること自体罪に思えます。

二日目、当初宮島に行く予定だったのですが。台風で吹っ飛んだ、という噂を聞き。
予定変更して岩国は錦帯橋へ。これが大当たり。

――岩国。それは残された美。――


 日本三大名橋の一つである錦帯橋、背景の城と相俟ってとっても綺麗です。

 思わずポーズをとる才谷さん。

 無意識にコブシを突き出してポーズするあたり、もう何も言えません。


 橋の向こうは小京都、と形容してしまうくらい情緒溢れていて。建物が、風景が全て四〇〇年前に戻ったようで。思わず佐々木小次郎饅頭を買ってしまいました。

 しかし、そんな岩国にも台風の爪痕が。モニュメントの立ち木は真っ二つに裂け、岩国城へのロープウェイは故障で、城は完全孤立。

錦帯橋。

才谷さん。

迷わず、
躊躇わず、
ただ、殴る。

――広島。それはアッキーの故郷。――


 その後、海の向こうの赤い鳥居をモノ惜しげに眺めながら、広島へ。ここで不動と合流。

まずは広島城へ。
広島城、意外と残ってるのね、と歓談しながら帰ろうとしたら、警備員のおじさんが手招きをしている。とても心優しいその警備員は、東京からやってきた右も左も分からぬ僕らに有難い講釈をしてくれたのです。以下順不同でその一部を紹介。


広島城は、瓦が豊臣の家紋になっているところがある。
それは、豊臣秀吉にとても可愛がられた大名の城だからである。
それだけ、広島城は重要な要地を占めているのである。
例えば、2次大戦のとき広島は重要な軍事基地中継点となったのである。
原爆が投下されたのも、そのためである。
つまり広島城はそれだけ大切なのである。
なのに広島県庁は広島城復元にまるで消極的なのである。
否、ほとんど無視である。
外国人用の大スリッパを購入するのに3年掛かったのである。
広島県庁は横暴である。
そもそも私はカープファンである。


……えーと、平和記念館に入る時間が無くなったんですが、どうしてくれるんですか。



 有意義な午後を過ごしたあと、本日のメインイベントへ。
 
 
そう、あのお世話になった先輩、横暴な広島県庁に勤めるアッキーさんにタカりに会いに来たのです!

そごう前で待ち合わせをすると、向こうからやってくるスーツ姿のその人。
「わしゃあ、シャイじゃけえのー」
ああアッキーさん、お変わりなく。

ここでしんと合流、アッキーさんを入れた5人で飲む。

とても楽しいよき日でした!!

岩国の街並み。
橋の向こうは古き良き世界。

広島城。
でーんと
構える。


<第3日 尾道、備中高松>


アッキーさんとの別れを惜しみつつ、崇高な目的に向かって、僕らは東へ。
ようやく4人揃ったとあって、俄然はりきる我々。
そんな僕らの前に現れたのは、坂の町、尾道。

――尾道。それは文学と猫の町。――


 尾道と言えば、志賀直哉と林芙美子で有名な文学の町です。資料館や旧宅があるとのことで、颯爽と進む僕ら。
進む。進む。すす……

何ですか、この坂は。

尾道とは、坂の斜面に出来た町のようで。
駅が坂下にあったのだから、当然目的地は坂上にあるわけです。

ぜえはあぜえはあ言いながら上る。
ただ上る。
頂上目指して上る。
それはガキ大将の心理。

志賀直哉の旧宅は思ったより小さかった。
きっとここであの名作が生まれたんだなあ、と少し感銘。
大分休憩。



文学の小道を歩いていたら、途中猫を発見。
三毛猫。
可愛い。
思わず手を伸ばした才谷さん、引っ掻かれる


坂の町。
さあ上れ。

志賀直哉旧宅。
暗夜行路。

岸壁で世界を望む、
しん。

マジで
引っ掻かれる
5秒前。

――備中高松。それはひたすらの草原。――

 尾道のあと、とりあえず岡山で宿をとった僕らは、備中高松に向かった。
 備中高松といえば、秀吉VS毛利の決戦の舞台であり、清水宗治が水攻めで降伏した場所。
つまり、一時仄暗い水の底にあった土地。

見渡す限りの平原。

こんな場所はサイクリングしかない!というわけで、自転車を借りる。
元々備中高松は吉備路の一部分であり、古墳や遺跡が点在しているのです。そのせいか、サイクリングロードが発達しまくっていて。


                  
 走る走る〜俺たち、流れる汗もそのままに。(『RUNNER』)


 風をきって走るのって気持ちいい。平日の平原、誰もいない道を歌いながら走るのって気持ちいい。
いやあ、本当生きてて良かったって感じだよ。ね、ね、あれ?みんなどこ?

気が付いたら
遭難。            


              
 錆び付いた車輪、悲鳴をあげ、残された僕を運んでいく。(『車輪の唄』)


唄に気を紛らわせながら、とりあえず携帯で連絡。みんなばらばらになっているらしい。
 「今どこにいる?」
 「よく分からないけど草原のどこか」
 「……どうするよ」
 「なんかさ、この草原のどこかに日本三大稲荷の一つがあるらしい」
 「……どこかって……」
 「そこで合流しない?三大って言うくらいだから、でかいよね
 「…・・・ええと」
 「
よし、じゃあそこで会おう!

 え?

携帯をきって、出発。
途中、歩いていた地元のおばちゃんに三大稲荷の一つ、最上稲荷の場所を聞く。
聞いたとおりに行ってみたら、

階段。それも物凄い数。
自転車を担ぐしかないのでしょうか。

それでも担いでいったら、ようやく発見!僕以外の3人も無事着いていたらしい。
「じゃあ帰ろうか」
また担いで帰る僕ら。


その後、日没サスペンデットで古墳探したり、自転車借りたところでおいしいブドウをご馳走になったりと、超有意義な時間を過ごした僕ら。
やばい、たまらなく楽しかった!
いや、遭難も面白かったよ……。



<第4日 岡山、姫路>


照らす日差しで眼が覚めた。
外は快晴。時刻は7時。長かった旅行も最終日。


――田町。それはもう一人の自分。――

しんを誘って散歩に出る。
実はこの旅行にはもう一つ大切な目的があって。

旅行というのは、自分探しのたびと似ている。
どこに向かって、何を思っても、それはつまりもう一人の自分と会うための旅なのだ。

えーとつまり何が言いたいかというとですね。
乗り換え案内でいつも田町を検索すると「田町(岡山)」が表示されるのはなぜかと。
急いでいるときとか結構いやなのです。
岡山を東京に検索し直すのが。

だから、その「田町(岡山)」の正体を暴いてやる!
というのがこの旅行の目的だったのだ!(そんなわけはない)

で、散歩がてら探してみたらありました。

路面電車の駅だったんですね。



――岡山。それはもう一人の自分との出会い。――


しかしですね、出会いはそれだけでは終わらないのです。

皆で岡山城に行きました。
そこで、受付のおばさんが手招きをしている。何々?

江戸時代のコスプレをしませんかだって?

そうして、皆それぞれ衣装を着てみました。
基本的には武士の格好。
最初は皆素直に着ていたのですが。

「ね、ね、しん、この女性もののカツラかぶってくださいよ」
「というか、女装して

人が少ないのをいいことに、遊んでしまいました。

本当はその写真をアップしたいのですが、
さる一人物から強力なストップが掛かったのでアップできません。
見たい方は僕に直接言ってください(笑)。


――姫路。それは白鷺の城。――

いよいよ旅の最終目的地、姫路城へ。
で、姫路城といえば日本一美しいと呼び名が高い城なわけです。
よし、ばしゃばしゃ写真撮るぞ、と息巻いてたら。

デジカメの電池が無くなりました(泣)

なので、ここで写真は途絶えてしまいます。
写真を見たかった方、すいません。

仕方がないので、僕が姫路城を語りましょう。

えー、姫路城は白鷺のように白くて美しい城です。
小学生の作文になってしまいました。
.

しかし実際、姫路城はめちゃ綺麗です。
螺旋を描く石積み、白と灰色を基調とした城壁。
石積みにはなぜか工事関係者の名前が彫られたりと、話題に事欠きません。
国宝にそんなことしていいのか。


―旅の終わり―


姫路城を見て、観光案内のおじさんに広島の警備員よろしくお話を聞いて、などとしていたら、新幹線の時間に。
6時前に明石発の新幹線で、一路品川へ。
結局、10時くらいに品川に到着。
僕らの旅は、終焉を迎えるのでした。

大変だったけど、とても楽しい旅行でした。付き合っていただいた皆様、ありがとうございました!!

またサイクリングしたいなあ(笑)

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